【コラム】代表の松村が研修事業を始めたきっかけ(1)<ありえない面接編>
こんにちは!アビリティ広報担当の長谷川です。
今日は弊社代表の松村(旧姓:幸松)が研修事業を始めたきっかけに迫ってまいります。
ありえない服装で面接に行ったら・・・?
➖研修講師を始めたのはいつ頃ですか?
松村
27歳です。
それまではジュエリーの販売営業職をしていたんですけれど、仕事がハードな上にお客様との付き合いで飲みに行くことも多くて。
成績は良かったんですけど長く続けるのは難しいなと感じていました。
そんなとき、妹の紹介で家電量販店での携帯電話販売の仕事に空きが出るというので、面接を受けに行ったのがきっかけです。
➖携帯電話販売スタッフのはずが研修講師に?
松村
いまとなっては考えられないし、我ながら信じられないんですけど、網タイツ+ブーツというイケイケな服装で面接に行ってしまったんです 笑
普通なら落とされるはずですが、面接を担当してくださった女性の先輩おふたりがそういうのを面白がってくださるタイプで。
イケイケな私の服装を見て「お酒飲める?」と聞いてこられたんです。
➖なんでお酒なんですか?
松村
その会社には、携帯電話の販売スタッフ、量販店を巡回する営業スタッフ、研修講師の3つのスタッフが在籍していたのですが、3つめの研修事業は、お客様である携帯電話会社の担当部署と密に連携を取る部門だったので、お酒を飲むお付き合いも多く、「ノリの良いお酒が飲める人」を求めていたようです。
➖転職してもお酒の付き合いから逃れられなかったんですね 笑
松村
そうですね。
でも、研修講師なんてやったこともない私に声をかけてくださったことを今も有り難く思っています。そこが私の研修講師人生のスタートですので。
イケイケな服装で行って良かった 笑
みなさんは決して真似しないでください。たまたまです。
お世話になったクライアント先(常駐先)を離れることに
➖その会社にはどのくらい在籍していたんですか?
松村
5年くらいです。
リーダー的なポジションにもつかせてもらい、常駐先であるクライアント様にも本当に良くしていただいていたのですが、あるとき、私たちの会社が業務委託として受けていた事業をすべて他社様が請け負うことになったんです。
常駐先の企業様も私たちの会社も本社が東京にあり。業者変更の判断は本社マターでしたので何もすることができませんでした。
支社の皆様は、「幸松さんたちと一緒にやっていきたいのに、、、」と仰ってくださったのですが、やはりどうすることもできず、常駐先を離れることになりました。
➖なかなか過酷な状況ですね。転職は考えませんでしたか?
松村
支社の皆様から「法人営業職でウチに転職しないか?」というお誘いを受けました。
大企業でしたし、大変ありがたいお話なので迷いましたが、後輩たちから「幸松さんの泥舟に乗ってみたい」と言われたんです。
➖泥舟ですか?
松村
契約終了に伴い、私たちはこれまでの常駐先を出て、新しい仕事を受託する必要がありました。
本社が新たなクライアントを見つけてきてくれましたが、これまでの研修事業とは異なる「病院の接遇サービスを構築する」というゼロから立ち上げる事業だったんです。
また、全員が同じクライアントに配属(常駐)されるわけではなかったので、私自身もですが、みんな不安だったと思います。
そんな中で後輩たちが「会社も自分たちもどうなるかわからないし不安だけど、幸松さんの漕ぐ泥舟は面白そうだから一緒に乗っかりたい」と言ってくれたんです。
➖みんな肝が据わってますね。そう言ってもらえるのも嬉しいですね。
松村
はい。ものすごく嬉しかったし、私がなんとかしなくちゃ!と張り切りましたね。
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次回「代表の松村が研修事業を始めたきっかけ(2)〜奮闘編〜」へと続きます。お楽しみに!