【コラム】代表の松村が研修事業を始めたきっかけ(2)<マネジメント失敗編>

こんにちは!アビリティ広報担当の長谷川です。
引き続き、弊社代表 松村(旧姓:幸松)の過去を暴いてまいります!

全員からほぼ総スカン!?!?

➖その後、病院の接遇サービス事業は上手くいったんですか?

松村
はい、当時は接遇サービスに力を入れている病院も少なかったので話題となり、「ウチでも指導してほしい」というお問い合わせやご紹介で研修事業も受注できるようになりました。

➖そのあたりから、また研修講師に戻られたのでしょうか?

松村
そうですね。
ご紹介やお問い合わせがあった病院や企業に出向いて営業し、受注したら講師として登壇するところまでひとりでやっていました。

➖そのあと、その会社を辞めたのはなんでですか?

松村
ご縁がありまして、飲食店の経営を任せてもらえるチャンスをいただけたんです。当時は部下も多くいたので迷いましたが、飲食店経営をやってみたかったので、思い切って新たな世界に飛び込みました。

➖初めての飲食店経営は上手くいきましたか?

松村
これがまったく上手くいきませんでした。
病院で接遇指導やマネジメント経験も積みましたし、研修講師として多くの受講生に教えてきましたので、それなりに自信があったのですが、自分のお店のスタッフを育成する難しさを思い知らされました。主力メンバーに嫌われて、料理長にも辞められてしまったときには、「なんでみんな自分勝手なの?」「言うことを聞いてくれないの?」と責めまくり、もう、全部投げ出したくて、その環境から逃げたくて、逃げたくて・・・そんな状態なのでお客様もまったく入りませんでした。

そんなとき、福岡で西方沖地震があって、お店の中がほぼ壊滅状態になったんです。
粉々に割れたグラスやお酒や焼酎、ワインの瓶、仕込んだ厨房のソースなどがグチャグチャになり、汚水がビルの隙間から溢れ出している状態を、当時のスタッフたちと片付けながら、(これからどうしよう・・)と途方にくれていました。
そして、支援してくれたオーナーに「これをきっかけにお店をクローズしたい」と申し出たんです。
オーナーには淡々と「お店を閉めるのは構わない。ただ、君が雇用したスタッフたちの次の行き先を考えてからじゃないか」と言われました。

➖なるほど。それをどうやって乗り越えたのでしょうか?

その言葉を聞いて、よく「頭を何かで殴られた気分」と言いますが、ハッとしたんです。
私は人のためにとか言いながら、結局は自分のことしか考えていなかった。
こんな局面で逃げ出そうとするなんて、私が一番悪かったんだと。

スタッフが不満を抱くのは、すべて私のマネジメントに問題があるのだと気づき、一緒に働いてくれる仲間に感謝の気持ちを伝えるようにしました。
段々と協力者が増えて、スタッフ間の雰囲気も良くなり、1店舗目が話題になって、2店舗目3店舗目と拡大していきました。

自分で自分の売上を稼がねばという意識

➖せっかく拡大したのに、またそのあと転職されてますよね?

仕事を任せられる優秀なスタッフが店長になれるよう支援したり、センスのある料理人が料理長として活躍できるようマネジメントしたり、現場で人の成長を見届けられる飲食店経営はやりがいのある仕事でした。
ただ、彼らの成長を見ていたら、自分ももっと成長したいなという欲がフツフツと湧いてきたんです。
また場所を変えて、成長していきたいなと思い始めた頃、またまたご縁がありまして、化粧品会社の新規事業の立ち上げメンバーとして声がかかったんです。

➖そこでもまた苦労されましたか?

はい、なかなか売り上げが作れず苦労しました。
実はそこで「なんとかして自分の給料分だけでも稼がなければ!」と、研修事業を始めたんです。ここでまた研修に戻ってきました 笑

➖正社員として働いているのに、自分の売上を自分で稼がなくてはと考えたのはなぜですか?

なぜでしょう・・・?
そういえば私も若い頃は、自分で売上を作るなんていう意識はゼロで、会社の文句を言っていた気がします。
やれ残業代がつかないとか、出張のときの宿泊代をもっと上げてほしいとか・・・しょうもないことを言ってましたね 笑
どこで意識が変わったかというと、おそらく責任ある立場で病院の接遇サービスを作り上げる仕事をしていたあたりだと思います。
業務委託契約でクライアント企業様にお支払いいただくお金、私たち従業員のお給料、そういうものをすべて知った上で、なんとか仲間や部下たちが退職させられずに済むように、仕事を取ってこなければと必死でした。
大変だけど楽しかったし、自分自身の意識が変わる良い経験をさせてもらったと思います。

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様々な経験を積んできた松村が研修にかける思いとは?
次回、完結編へと続きます!